岩坪威教授の研究から学ぶアルツハイマー病診療

岩坪威教授のアルツハイマー病研究を軸に、アミロイドβ・タウの病態、早期診断バイオマーカー、治療適応を見極める臨床的視点を医療従事者向けに整理します。今後の認知症診療にどう生かせるでしょうか?

岩坪威 アルツハイマーの基礎知識と核心ガイド

病態解明から早期診断への道筋
分子病態を標的にした研究

岩坪威教授の研究は、アミロイドβの産生・凝集・排出とタウ病理を結び、治療開発の土台を築いてきました。

バイオマーカーの実装可能性

血漿Aβとp-tau217の組み合わせは、無症候期やMCI期における脳アミロイド蓄積の推定精度を高めます。

診療では総合評価が不可欠

血液検査は単独で診断を確定するものではなく、症候、機能、画像、髄液検査を統合して解釈する姿勢が重要です。


岩坪威教授とアルツハイマー病研究の位置付け



「岩坪威 アルツハイマー」で情報を探す際に押さえるべきなのは、岩坪威教授が神経病理学を基盤とし、分子病態、画像・体液バイオマーカー、臨床研究コホート、治療開発を連続した課題として扱ってきた点です。東京大学大学院医学系研究科の神経病理学分野を拠点に、アルツハイマー病(Alzheimer’s disease:AD)の発症前から認知症期までを視野に入れたトランスレーショナル研究を展開してきました。
岩坪教授らの研究の重要性は、病理標本で観察されるアミロイドβ(Aβ)沈着、神経原線維変化を構成するタウ病理、神経細胞・シナプス障害という現象を、治療対象として測定可能な指標へ結び付けたことにあります。ADでは、脳内へのAβ蓄積が早期に生じ、その後にタウ病理、神経変性、認知機能低下が連なるという病態理解が、現在の抗Aβ抗体薬を含む疾患修飾療法の臨床開発を支えています。岩坪教授は、基礎病態研究と、生体で病理を捉えるアミロイドPET・体液バイオマーカー研究の両面から、この橋渡しに貢献してきました。東京大学は岩坪教授について、基礎と臨床の双方から「アルツハイマー病のない社会」を目指す研究を進めていると紹介しています。


参考)脳の糸くずのない未来
医療従事者にとっては、研究者個人の業績を知ること自体よりも、「臨床症候だけではなく、AD病理をどの手段で、どの時期に、どの目的で評価するか」という考え方を理解することが実践的です。認知症という臨床症候群と、バイオマーカーで定義されるAD病理は完全には同義ではありません。したがって、患者・家族への説明、専門医紹介、治療選択、治験相談においては、病理学的評価の意味と限界を丁寧に区別する必要があります。
東京大学「脳の糸くずのない未来」


アミロイドβ・タウ病理と創薬研究の接点

岩坪教授のアルツハイマー病研究を理解するうえで中心となるのが、Aβの産生、凝集、毒性、クリアランスという連続した分子過程です。Aβはアミロイド前駆体タンパク質(APP)がβセクレターゼおよびγセクレターゼにより切断されて生じます。特にAβ42はAβ40よりも凝集しやすく、脳内への蓄積やアミロイド斑形成との関連で重視されてきました。岩坪教授らは、家族性ADに関係するプレセニリンとγセクレターゼの機能的関係、ならびにAβ42産生に関わる分子機構の解明に取り組みました。


この病態モデルは、単に「Aβを減らせばよい」という単純な発想ではありません。Aβは産生量、分子種、オリゴマー・プロトフィブリル・線維などの凝集状態、アポリポタンパクE(ApoE)を含む結合タンパク質、脳血管・血液脳関門を介する排出、免疫療法による動態変化など、多層的な因子の影響を受けます。創薬では、標的そのものだけでなく、標的の生理的機能、投与時期、脳内到達性、有害事象、患者選択までを一体として設計する必要があります。
JSTの研究報告に示された統合的研究では、Aβ産生に関わるγセクレターゼの構造・機能相関、Aβ凝集と毒性、ApoEアイソフォームの影響、血液脳関門でのAβ輸送、Aβ免疫療法の作用機序、アミロイドイメージングおよび血液バイオマーカーとの対比が研究対象とされました。これは、病因タンパク質を減らす介入と、それを早期かつ客観的に評価する診断基盤を同時に構築するという発想です。


参考)https://www.jst.go.jp/kisoken/crest/report/heisei20/pdf/pdf07/07-002.pdf

項目 基準・内容 備考
Aβ産生 APPがβセクレターゼ、γセクレターゼにより切断されて生成される Aβ42は凝集性が高く、病態との関連で重要視される
Aβ蓄積 脳内アミロイド沈着をPETや髄液・血液マーカーで推定する 臨床症状出現以前から検出され得る
タウ病理 リン酸化タウの変化と神経原線維変化、神経変性が関係する p-tau217は早期評価の候補マーカーとして注目される
治療介入 抗Aβ抗体薬などにより病理進行への介入を目指す 適応判断では病理確認と安全性評価が必要となる

臨床薬学・看護の観点では、γセクレターゼのような広範な生理機能に関与する標的を抑制する際、標的選択性だけでは安全性を語れないことに注意が必要です。作用機序が合理的でも、Notchシグナルなどへの影響を含めたオンターゲット毒性や、実際の臨床アウトカムを検証しなければ疾患修飾治療として成立しません。したがって、分子病態研究は創薬の出発点であり、臨床的有用性の最終的な保証ではない、という姿勢が重要です。


J-ADNIからJ-TRCへ進んだ早期診断の基盤

岩坪威教授の研究を語る際、臨床研究の基盤整備も欠かせません。J-ADNIは、日本人におけるADおよび軽度認知障害(mild cognitive impairment:MCI)の経時的変化を、認知機能検査、MRI、PET、体液バイオマーカーなどで追跡し、診断・進行評価・治験設計に利用できるデータ基盤をつくることを目的とした研究です。東京大学の紹介では、岩坪教授をプロジェクトリーダーとして2007年に全国38施設でJ-ADNIが開始され、画像、生化学検査、心理検査を組み合わせた追跡が進められました。


この流れをさらに早期段階へ拡張したのが、認知症プレクリニカル期・プロドローマル期を対象とするJ-TRCです。プレクリニカルADは、Aβ蓄積などAD病理が推定される一方、認知機能は保たれている状態を指します。プロドローマルADは、AD病理を背景に客観的認知機能低下を認めるものの、日常生活機能は比較的保たれており、認知症には至っていない段階、すなわちMCI期のADとほぼ重なる概念です。これらの段階を的確に同定することは、将来の予防研究や早期介入試験の成立条件になります。


参考)https://www.u-tokyo.ac.jp/content/400240776.pdf
重要なのは、MCIがそのままADを意味しないことです。MCIは臨床的な状態像であり、背景にはAD、レビー小体病、脳血管障害、睡眠障害、うつ状態、薬剤性、感覚障害、代謝・内分泌異常など、多様な要因があり得ます。ADを疑う場合であっても、単回の認知機能スコアや問診のみで結論を急がず、経時変化、IADL、神経学的所見、精神症状、併存疾患、服薬状況、画像・バイオマーカーを組み合わせて評価します。

  • 本人・家族から得る記憶障害、見当識、遂行機能、行動・心理症状、生活機能低下の情報を構造化する
  • 抗コリン負荷、ベンゾジアゼピン受容体作動薬、鎮静性薬剤など、認知機能に影響し得る薬剤を包括的に確認する
  • せん妄、抑うつ、睡眠障害、難聴、甲状腺機能異常、ビタミン欠乏など可逆的・修正可能な要因を評価する
  • 専門医療機関との連携により、MRI、アミロイドPET、髄液検査、適切に検証された血液バイオマーカーの位置付けを判断する
  • 検査結果を伝える際は、病理学的リスク、将来の臨床転帰、治療適応を同一視しないよう説明する


血漿Aβとp-tau217が示す臨床的意義

近年の岩坪教授らの成果として特に注目されるのが、血漿Aβとリン酸化タウ217(p-tau217)を組み合わせ、脳アミロイドPETの結果を予測する研究です。東京大学の発表によると、J-TRCコホートの非認知症高齢者を対象に、血漿Aβ42、Aβ40、p-tau217を測定し、アミロイドPET視覚判定との関係を検討しました。Aβ42/Aβ40比のAUCは0.85、p-tau217のAUCは0.91であり、複数の指標と臨床情報を組み合わせたモデルでは、さらに高いPET予測能が示されました。


同発表では、J-TRC全体でp-tau217/Aβ42比と年齢・性別・APOE遺伝子型などの臨床情報を組み合わせたモデルのAUCは0.936でした。認知機能正常群ではp-tau217とAβ42/Aβ40比に臨床情報を加えたモデルでAUC 0.948、MCI相当群ではp-tau217/Aβ42比と臨床情報を加えたモデルでAUC 0.955と報告されています。また、スウェーデンのBioFINDERコホートでも同様の傾向が再現され、日本人コホートにおける所見の一般化可能性を補強する結果となりました。


ただし、AUCが高いことと、一般診療で単回採血のみを用いてADを確定診断できることは別問題です。研究で使用された測定プラットフォーム、解析アルゴリズム、対象者の選択、PET判定法、カットオフ値、事前確率、併存疾患、腎機能や検体前処理などは、実臨床での性能に影響します。とりわけスクリーニングで陽性となった人に対しては、偽陽性による心理的負担、不必要な精密検査、保険診療・自費診療の扱い、遺伝情報を含むプライバシーへの配慮を含め、確証的評価へつなぐための体制が不可欠です。
血液バイオマーカーの現実的な価値は、侵襲性や利用可能施設の制約があるアミロイドPET・髄液検査を代替すると即断することではなく、精密検査の優先順位付けや治験候補者の抽出を効率化する点にあります。岩坪教授らの研究は、症候のない段階やMCI期の人から、より詳細な評価が必要な対象を高い効率で選び出せる可能性を示したものと理解するのが適切です。


東京大学プレスリリース:血液バイオマーカーによる脳アミロイドPET結果予測


医療従事者が診療と説明に生かす視点

抗Aβ抗体薬の登場により、AD診療は「認知症になってから症状を緩和する」だけではなく、「早期ADで病理を確認し、疾患修飾療法の利益とリスクを評価する」方向へ広がっています。岩坪威教授の研究が示す本質は、早期発見を目的化するのではなく、病態の確認を適切な治療、予後説明、ケア計画、研究参加の選択肢につなげることにあります。
薬剤師、看護師、医師、臨床検査技師、心理職、地域連携担当者などが共有したいのは、検査の名称よりも検査前後の意思決定支援です。たとえば、物忘れを訴える高齢者が受診した場合、認知機能低下の背景を幅広く評価し、専門医紹介の必要性を判断します。さらにAD病理の検査が提案される段階では、「何のために調べるのか」「結果が陽性・陰性なら治療や生活設計に何が変わるのか」「治療候補となる場合にどのような安全性モニタリングが必要か」を、本人の価値観および家族・支援者の理解に合わせて確認します。
抗Aβ抗体薬を念頭に置く場合には、適応となる疾患ステージ、アミロイド病理の確認、MRIを含む安全性評価、アミロイド関連画像異常(ARIA)などの有害事象リスク、抗凝固薬・抗血小板薬を含む併用薬、通院頻度、介護者・家族による支援体制を総合的に評価します。血液バイオマーカーが将来さらに実装されても、こうした包括的アセスメントの重要性は低下しません。むしろ検査へのアクセスが広がるほど、結果の過剰解釈を防ぎ、精密検査・治療・地域支援へ適切につなぐ専門職の役割は大きくなります。
岩坪威教授のアルツハイマー病研究は、病態をAβとタウの変化として理解し、それを画像・体液マーカーで可視化し、早期段階の介入研究へ接続する道筋を示してきました。今後の医療現場では、バイオマーカーの進歩を歓迎しつつも、診断の確度、疾患段階、個別の治療利益、安全性、患者本人の選好を切り分けて判断することが、科学的かつ患者中心の認知症医療につながります。

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