
インフルエンザ脳症は、インフルエンザ罹患に関連して発症する急性脳症であり、急性発症の意識障害を主徴とする症候群です。臨床現場では「インフルエンザ脳症」と呼ばれることが一般的ですが、病態をより正確に表現する用語としては、インフルエンザ関連脳症(influenza-associated encephalopathy)が用いられます。ウイルスが脳実質で増殖することを直接示す病態だけではなく、過剰な炎症反応、脳浮腫、循環・凝固異常、多臓器障害などを伴いうる多様な急性脳症の集合体として理解する必要があります。
参考)https://www.mhlw.go.jp/kinkyu/kenkou/influenza/hourei/2009/09/dl/info0925-01.pdf
医療従事者にとって重要なのは、インフルエンザ脳症を単なる「高熱に伴う一過性の熱せん妄」や「熱性けいれん」と安易に同一視しないことです。脳症の診断は発症直後に確定できないことがあり、軽症例から急速に昏睡、ショック、脳浮腫、多臓器障害へ進行する重症例まで臨床像は幅広くなります。確定診断を待つことで支持療法や高次医療機関への搬送が遅れることは避けなければなりません。
厚生労働省のガイドラインでは、インフルエンザ脳症を、インフルエンザのウイルス学的診断を背景として、一定の重症度と持続時間を有する急性の意識障害を中心に捉えています。一方で、迅速抗原検査には偽陰性・偽陽性があり、発症早期の陰性結果のみでインフルエンザ関連の病態を除外することは適切ではありません。地域流行、急な発熱、呼吸器症状、曝露状況、検査の実施時期を総合して評価します。
インフルエンザ脳症で特に注意すべき初発神経症状は、意識障害、けいれん、異常言動・行動の3つです。このうち、最も重視すべき所見は意識障害です。呼びかけに反応しない、反応が鈍い、会話が成立しない、視線が合わない、刺激しないと眠り込む、普段のように認識・応答できないといった変化を、患者の年齢や普段の発達段階に応じて捉えます。
小児では、「眠っているだけ」「疲れているだけ」と評価されやすい場面があります。しかし、意識が清明であると確信できない場合、または意識状態が経過中に悪化している場合は、脳症を念頭に置いた対応が必要です。年長児では見当識、受け答え、指示動作、発語の内容を確認し、乳幼児では視線、あやしへの反応、飲水・哺乳への反応、自発運動などを観察します。JCSまたはGCSを用いて、評価時刻とともに記録することが、変化の可視化と施設間連携に役立ちます。
けいれんについては、発作の持続時間、反復の有無、左右差、発作後の意識回復を確認します。単純型熱性けいれんに該当するように見えても、発作後に意識が回復しない場合、意識状態が悪化する場合、異常言動・行動を伴う場合は、脳症との鑑別を要します。特に、けいれんが長時間続く、短時間でも反復する、左右非対称である、発作後に明らかな意識障害が持続する場合は、複雑型けいれんとして高次医療機関への紹介を検討します。
| 項目 | 基準・内容 | 備考 |
|---|---|---|
| 意識障害 | 呼びかけに応じない、見当識障害、覚醒困難、反応低下 | インフルエンザ脳症で最重要の神経所見 |
| けいれん | 持続、反復、左右非対称、けいれん後の意識回復遅延 | 複雑型では脳症との鑑別が難しい |
| 異常言動・行動 | 幻視、意味不明な発言、人物誤認、無意味な動き、異常な恐怖 | 持続時間と間歇期の意識状態を評価する |
| 頭蓋内圧亢進を示唆する所見 | 嘔吐、瞳孔異常、眼球運動異常、脈拍・血圧・呼吸の変化 | 脳浮腫や重症化を示唆しうる |
| 全身症状 | 高熱、下痢、ショック、乏尿、出血傾向 | 多臓器障害を伴う重症病型を考慮する |
インフルエンザ罹患中の異常言動・行動は、脳症に進展しない一過性の熱せん妄でもみられます。そのため、異常行動があることだけで直ちにインフルエンザ脳症と診断することはできません。一方で、異常言動・行動は脳症の初期徴候として出現することがあるため、「一過性だから問題ない」と断定せず、持続時間、反復、間歇期の意識状態、悪化傾向、けいれんの合併を評価することが重要です。
脳症を疑う異常言動・行動には、両親や周囲の人物を正しく認識できない、いない人や動物が見えると訴える、意味の通らない言葉を発する、ろれつが回らない、急に強い恐怖を示す、理由なく怒る・泣く・笑う、無表情・無反応となる、食べ物ではないものを口に入れる、自分の手をかむなどが含まれます。異常行動には事故につながる行動もあり、窓や玄関から飛び出す、高所へ向かう、危険物を扱うといったリスクを念頭に、診療上の評価と並行して安全確保を指導・実施します。
ガイドラインでは、異常言動・行動が連続的または断続的に概ね1時間以上続く場合、あるいは意識状態が明らかに悪い、または悪化する場合を、二次・三次医療機関への紹介の適応としています。反対に、短時間で消失し、間歇期に意識障害を認めない場合は経過観察の対象となり得ますが、これは脳症を完全に除外する基準ではありません。再燃や神経症状の新規出現時に直ちに再評価できるよう、家族へ具体的な説明を行います。
インフルエンザ脳症が疑われる場合は、初期評価として意識レベル、気道、呼吸、循環、体温、けいれんの有無、瞳孔所見、バイタルサインを迅速に確認します。症状が変動しやすいため、単回の診察で「問題なし」と判断するのではなく、JCSまたはGCS、瞳孔径・対光反射、呼吸状態、血圧、SpO2、けいれんの有無を連続的に記録して、経時変化を評価します。
明らかな意識障害がある場合、または意識が清明であると確信できない場合は、速やかな二次・三次医療機関への紹介を考慮します。けいれんについては、持続が長い、反復する、左右非対称であるといった複雑型の特徴を認める場合、意識障害の有無にかかわらず高次施設での評価が推奨されます。単純型と考えられるけいれんであっても、発作後の意識が概ね1時間以上回復しない場合、または異常言動・行動を伴う場合は紹介を要します。
頭蓋内圧亢進を示唆する嘔吐、瞳孔不同、眼球運動異常、異常肢位、徐脈、血圧変動、呼吸パターンの変化は、脳浮腫や脳ヘルニア切迫を念頭に置く重要所見です。さらに、高熱、下痢、ショック、乏尿、肝機能障害、腎機能障害、凝固異常、血小板減少、血糖異常などが加わる場合には、急速に多臓器障害へ進行する病型を考慮し、集中治療に対応可能な施設との連携を急ぎます。
診断補助として、血液・尿検査、頭部CT、脳波、頭部MRIを状況に応じて実施します。血小板減少、AST・ALT上昇、CK上昇、血糖異常、凝固異常、BUN・クレアチニン上昇、高アンモニア血症、血尿・蛋白尿などは、脳症の重症度や予後を考えるうえで重要な所見となり得ます。MRIは早期病変の描出に有用ですが、重症患者では撮像中の呼吸・循環管理リスクを考慮し、CTや全身管理を優先すべき状況があります。
インフルエンザ脳症では、発熱早期に神経症状が出現して急速に悪化する型だけでなく、いったん症状が軽快したようにみえた後に、けいれんや意識障害が再燃・増悪する二相性の経過があります。ガイドラインでは、二相性の脳症で発症3~5日後にけいれんや意識障害が出現することがあるとされ、けいれん重積型では第3~7病日に反復けいれんと意識障害の再増悪がみられる場合があります。初診時に意識が改善していても、再受診すべき症状を具体的に説明し、家族が観察すべきポイントを共有することが必要です。
鑑別では、熱性けいれん、熱せん妄のほか、細菌性髄膜炎、ウイルス性脳炎、他病原体による急性脳症、低血糖や電解質異常などの代謝性疾患、中毒、頭部外傷、熱中症、脳血管障害、先天代謝異常症を考慮します。髄液細胞数が正常範囲でも急性脳症は否定できず、インフルエンザ脳症では髄液に明らかな細胞増多を伴わないことが多い点にも注意が必要です。
急性脳炎・脳症は感染症法に基づく五類感染症の全数把握対象です。日本小児科学会は、急性期の原因特定が難しいことを踏まえ、血液、尿、便、髄液、咽頭ぬぐい液の検体確保と、急性期・回復期のペア血清の保存の重要性を示しています。特にインフルエンザ脳症では、髄液や血液から病原体を検出することが難しいため、呼吸器由来検体の確保が重要です。急性脳炎・脳症と診断した医師には、診断後7日以内の届出が求められます。
参考)インフルエンザ等の診療に関する情報提供|会員・医療関係者の方…
インフルエンザ脳症が疑われる患者への対応で優先すべきなのは、確定診断を待つことではなく、意識・呼吸・循環・けいれんを含む全身状態の安定化、継続観察、必要時の迅速な搬送です。症状の軽重だけでなく、悪化速度、意識の回復過程、異常言動の持続、再燃の有無を重視した診療が、早期介入の機会を確保する鍵となるでしょう。