
腹腔内出血とは、腹腔内に血液が貯留する病態であり、肝・脾・腸間膜・消化管・骨盤内臓器などの損傷、あるいは血管病変や婦人科救急などにより発生します。代表的な契機は交通外傷、転落、腹部打撲などの鈍的外傷ですが、穿通外傷、肝腫瘍破裂、脾腫を背景とする脾破裂、腹部大動脈瘤関連の出血、異所性妊娠破裂、抗凝固薬・抗血小板薬使用中の出血傾向など、非外傷性の原因も重要です。
臨床上の注意点は、腹腔内という広い空間に相当量の血液が貯留し得るため、外出血のように出血量を目視しにくいことです。したがって、腹部症状が比較的軽度であっても、循環血液量減少が進行している可能性があります。腹部外傷では、腹痛が存在しても骨折、胸部損傷、頭部外傷などのより強い疼痛や意識障害に隠されることがあり、腹部所見だけで出血の有無や程度を判断することは危険です。腹腔内出血は、腹痛のみで始まり、その後にショックが顕在化する場合があるとされます。
参考)腹腔内出血を疑った時 (総合診療 27巻9号)
また、高齢者、β遮断薬使用者、ペースメーカー装着者、重症感染症や自律神経障害を有する患者では、出血に対する頻脈反応が明瞭でないことがあります。妊娠、肥満、意識障害、鎮静・鎮痛薬投与後、人工呼吸管理中などでも、腹痛や腹膜刺激症状の評価は難しくなります。症状の有無を単発で判断するのではなく、受傷機転、既往、服薬、バイタルサインの推移、腹部診察、ベッドサイド超音波、検査値を統合する姿勢が重要です。
腹腔内出血でみられる症状は、局所の腹部症状と全身性の循環不全症状に大別できます。局所症状としては、突然発症または持続する腹痛、腹部膨満感、圧痛、反跳痛、筋性防御、悪心・嘔吐などがあります。ただし、腹膜刺激症状は出血初期には明らかでないことがあり、腹壁緊張が乏しいからといって腹腔内出血を除外してはいけません。
全身所見では、頻脈、末梢冷感、湿潤した冷たい皮膚、冷汗、顔面蒼白、脈圧の狭小化、呼吸数増加、倦怠感、めまい、失神前症状、意識レベル低下、乏尿が重要です。ショックでは、嗜眠、錯乱、傾眠などの意識変容が出現し得るほか、手足は蒼白・冷感・湿潤を呈し、ときにチアノーゼを伴います。
参考)Shock - Critical Care Medicine…
| 項目 | 基準・内容 | 備考 |
|---|---|---|
| 腹痛 | 突然発症、持続性、増悪傾向の腹痛 | 外傷の疼痛、鎮痛後、意識障害では過小評価されやすい。 |
| 腹部膨満 | 腹囲増大、膨満感、腹部緊満 | 急速な貯留では有用だが、早期に明瞭とは限らない。 |
| 圧痛・腹膜刺激症状 | 限局性またはびまん性の圧痛、反跳痛、筋性防御 | 出血そのものでは初期に乏しい場合があり、反復診察が必要である。 |
| 循環代償の徴候 | 頻脈、脈圧狭小、頻呼吸、冷汗、末梢冷感 | 収縮期血圧が保たれていても進行性出血を考慮する。 |
| ショックの徴候 | 低血圧、意識変容、乏尿、皮膚の冷湿、循環虚脱 | 代償が破綻した重症所見であり、直ちに蘇生と止血戦略を進める。 |
| 関連症状 | 左肩痛、骨盤痛、性器出血、失神、腰背部痛 | 脾損傷、婦人科疾患、後腹膜病変などを含めて原因を再評価する。 |
脾損傷では左上腹部痛に加え、左肩への関連痛がみられることがあります。大量出血では腹痛・腹部膨満と出血性ショックが問題となります。 一方、腎・後腹膜領域の損傷や大血管関連病変では、腹腔内の自由液が乏しく、側腹部痛、腰背部痛、血尿などが手掛かりとなることもあります。FAST陰性であっても、臨床的に出血が疑わしければ評価を終えてはなりません。
参考)Splenic Injury - Injuries; Poi…
腹腔内出血を疑う際は、症状を「腹痛の有無」だけに集約せず、急性出血の進行を示す危険徴候を能動的に探します。特に、経時的な血圧低下、頻脈の増悪、乳酸上昇、末梢循環不全、意識状態の変化、尿量低下、反復採血でのヘモグロビン・ヘマトクリット低下、輸血必要量の増大は、持続出血または不十分な止血を示唆します。腹部外傷の評価では、循環動態の悪化、継続的な多量輸血の必要性、ヘマトクリットの有意な低下が進行性出血の所見として挙げられています。
参考)Overview of Abdominal Trauma -…
救急現場では、腹部診察を一度行って終えるのではなく、蘇生中・移送前後・検査前後に反復します。腹痛の増悪、膨満の進行、圧痛範囲の拡大、皮膚灌流の悪化、意識変容などの変化は、単回の正常所見より重視すべきです。患者が「少し楽になった」と訴えても、鎮痛、循環代償、意識低下によって症状表現が変化している可能性を考慮します。
循環動態が不安定な外傷患者では、気道・呼吸・循環の初期評価および蘇生と並行し、FASTを用いて腹腔内自由液の有無を短時間で評価します。FASTは腹腔内出血、心囊液貯留、大量血胸の検索を目的とする迅速な超音波評価であり、腹部外傷患者における腹腔内出血の非侵襲的かつ迅速な確認法として位置づけられています。
参考)https://www.pref.nara.jp/secure/83800/0615trauma.pdf
FASTの代表的な観察部位は、右上腹部のモリソン窩周辺、左上腹部の脾周囲、骨盤腔のダグラス窩または膀胱直腸窩であり、eFASTでは胸腔および心囊も含めます。腹腔内の血液は仰臥位で依存部に集まりやすく、FASTではこれらの部位における無エコー域・低エコー域として自由液貯留を確認します。FASTは反復可能であり、初回陰性でも症状や循環動態が変化すれば再検することが重要です。
参考)https://www.matsuyama.jrc.or.jp/wp-content/uploads/pdfs/kr1_16.pdf
ただしFASTは、腹腔内の自由液を検出する検査であり、出血源の詳細な同定、実質臓器損傷の重症度評価、腸管損傷、後腹膜出血、少量出血の除外を単独で担うものではありません。腹部圧痛や循環不全が持続し、FASTが陰性または判定困難であっても、臨床的疑いが残る場合には、患者の状態に応じて造影CT、外科・救急科・放射線科への早期コンサルトを検討します。
循環動態が安定している患者では、造影CTが臓器損傷、血腫、腹腔内液体量、血管外漏出、後腹膜損傷などの評価に有用です。CTは出血量を評価でき、場合によっては出血源を明らかにできるため、安定例で望ましい検査とされています。
参考)外傷患者へのアプローチ - 22. 外傷と中毒 - MSDマ…
MSDマニュアル:外傷患者へのアプローチ
血算、凝固系、血液型・不規則抗体スクリーニング、血液ガス、乳酸、腎機能、肝機能なども並行して評価します。ただし、急性出血のごく早期にはヘモグロビン値が正常範囲にとどまることがあります。初回値だけで出血の程度を否定せず、輸液・輸血量、採血タイミング、臨床経過を踏まえた連続評価が必要です。
腹腔内出血が疑われる患者への対応では、診断確定のために蘇生を遅らせないことが原則です。意識状態、気道、酸素化・換気、皮膚所見、脈拍、血圧、呼吸数、体温、SpO2、尿量を継続的に監視し、太い静脈路または適切な血管アクセスを確保します。ショックが疑われる場合には、施設プロトコルに基づき大量輸血プロトコルの起動可能性も早期に検討し、外傷外科、救急科、消化器外科、産婦人科、放射線科、麻酔科などと連携します。
看護師・薬剤師を含むチームでは、抗凝固薬・抗血小板薬の内服状況、最終服用時刻、腎機能、肝機能、既往の出血歴、輸血歴、アレルギー歴を迅速に共有することが重要です。ワルファリン、直接作用型経口抗凝固薬、ヘパリン、P2Y12受容体阻害薬などは、止血戦略や拮抗・中和の判断に影響します。また、鎮痛薬の投与後は痛みの推移だけで病態改善を判断せず、バイタル、腹部所見、超音波所見、採血結果を再評価します。
患者・家族への説明では、「腹部に出血している可能性があり、外見から分からなくても急に状態が変化することがある」「検査と治療を同時に進める必要がある」と、緊急性と不確実性を簡潔に伝えます。腹腔内出血は、腹痛、膨満、頻脈、冷汗、失神、意識変容といった症状の組み合わせから早期に疑い、ショックの進展を待たずに反復評価と迅速なエスカレーションを行うべき病態です。