がん対策基本法は、がん対策を総合的かつ計画的に推進するための基本的な枠組みを定めた法律です。基本理念では、がん患者が置かれている状況に応じ、本人の意向を十分に尊重したがん医療が提供されること、全国のどこに居住していても科学的知見に基づく適切ながん医療を受けられること、がん患者が尊厳を保持しながら安心して暮らせる社会を目指すことなどが示されています。
第三章の「基本的施策」は、理念を実際の行政施策、地域計画、医療機関の取組へ落とし込むための中核です。現行法では、第一にがんの予防及び早期発見、第二にがん医療の均てん化の促進等、第三に研究の推進等、第四にがん患者の就労等、第五にがんに関する教育の推進という五領域で構成されています。医療従事者にとっては、診断や治療の技術的な質だけでなく、検診、相談支援、地域連携、社会生活支援、患者教育までを含めて自施設の役割を確認する視点が重要です。
参考)https://www.mhlw.go.jp/content/10901000/001017891.pdf
また、法律を受けて国が策定するがん対策推進基本計画は、都道府県がん対策推進計画の基礎となります。したがって、病院、診療所、健診機関、薬局、訪問看護事業所、行政部門などは、基本法の条文だけでなく、自施設が所在する都道府県の計画や地域の医療提供体制も併せて確認する必要があります。
参考)がん対策推進基本計画|厚生労働省
厚生労働省「がん対策基本法」
がん対策基本法第十三条は、国および地方公共団体に対し、喫煙、食生活、運動その他の生活習慣や生活環境が健康へ及ぼす影響、がんの原因となるおそれがある感染症、さらに性別・年齢等に係る特定のがんと予防に関する啓発および知識普及など、がん予防の推進に必要な施策を講じることを求めています。予防は行政の啓発業務に限られず、外来、病棟、健診、薬局、産業保健の各場面で医療者が患者・住民と接する際の重要な実践領域です。
例えば、禁煙支援では「喫煙はよくない」という一般論だけで終わらせず、喫煙状況、禁煙意思、ニコチン依存の程度、併存疾患、利用可能な禁煙治療や地域資源を踏まえた支援につなげます。感染関連のがん予防についても、対象者の年齢や既往、ワクチン接種歴、検診歴、生活背景を確認し、正確で理解しやすい情報提供を行うことが大切です。
第十四条では、がん検診の方法等の検討、事業評価、検診に携わる医療従事者への研修機会の確保、その他の検診の質向上、受診率向上に向けた普及啓発等が規定されています。ここで重視されているのは、単に受診者数を増やすことではありません。対象集団に適切な検診を届け、精度管理を行い、要精密検査者を確実に精査・診断・治療へ接続し、結果を評価して改善する一連の仕組みです。
| 項目 | 基準・内容 | 備考 |
|---|---|---|
| 一次予防 | 生活習慣、生活環境、感染症、年齢・性別等に応じたがん予防の知識普及と支援 | 個別のリスクや健康課題を踏まえ、実行可能な行動支援につなげる |
| がん検診 | 検診方法の検討、事業評価、従事者研修、検診の質向上、受診率向上 | 受診勧奨だけでなく、精密検査受診率や追跡体制も確認する |
| 精度管理 | 検査の適正実施、判定、結果通知、精密検査紹介、結果把握、評価・改善 | 自治体、健診機関、医療機関間の情報連携が鍵となる |
| 情報提供 | 利益だけでなく、不利益、偽陽性・偽陰性、偶発所見等も含む説明 | 住民・患者が理解し意思決定できる表現を選ぶ |
特に医療機関で精密検査を担う場合、紹介状への回答、診断確定までの所要日数、未受診者への連絡方法、結果の自治体・健診機関への返却手順などを標準化すると、検診後の途切れを減らしやすくなります。検診の価値は、受診時点ではなく、必要な精査と適切な治療・経過観察に確実につながって初めて最大化されます。
がん医療の均てん化とは、居住地域、年齢、障害の有無、社会的背景などによって、科学的根拠に基づく適切ながん医療へアクセスできる機会に不合理な差が生じないようにする考え方です。基本法では、専門的知識・技能を有する医師その他の医療従事者の育成、医療機関の整備、医療機関間の連携協力体制の整備、がん患者の療養生活の質の維持向上、がん医療に関する情報の収集提供体制の整備などが基本的施策として示されています。
均てん化は、全ての医療機関が同一の高度治療を提供することではありません。地域の診療所、一般病院、がん診療連携拠点病院、専門病院、緩和ケアチーム、在宅療養支援機関、薬局、介護サービス、自治体相談窓口などが、それぞれの機能を明確にし、必要時に速やかに連携できる状態をつくることです。治療選択の段階では紹介の遅れを防ぎ、治療後や再発後には生活支援を切らさず、人生の最終段階まで本人の希望を尊重する連携が求められます。
療養生活の質を維持・向上させる支援では、身体症状の管理に加えて、心理社会的苦痛、経済的負担、家族のケア負担、妊孕性、外見変化、性に関する悩み、孤立などにも目を向ける必要があります。患者の困りごとは診察室で自発的に語られるとは限らないため、看護師、薬剤師、医療ソーシャルワーカー、心理職、リハビリテーション職、栄養士などが関与できる導線を平時から整備することが実務上の要点です。
がん対策基本法第十九条は、がんの本態解明、予防、診断、治療等に関する研究の推進、ならびにがん医療で特に必要性が高い医薬品・医療機器の早期承認に資する環境整備等を求めています。研究は基礎研究や治験を行う一部の施設だけに関係するものではありません。日常診療の中で診療情報を適切に記録し、臨床研究への参加可能性を検討し、患者が研究や治験に関する情報へアクセスできるよう支援することも、研究基盤を支える重要な役割です。
研究参加を案内する際には、治療選択肢としての臨床試験を過大評価せず、目的、適格基準、期待できる利益、不利益、標準治療との関係、追加の通院・検査、費用、参加しない自由、途中で撤回する権利を説明する必要があります。特に、患者が「断ると通常診療を受けにくくなるのではないか」と感じないよう、診療と研究参加の自由な意思決定を明確に分けて伝える配慮が不可欠です。
2023年3月28日に閣議決定された第4期がん対策推進基本計画は、「誰一人取り残さないがん対策を推進し、全ての国民とがんの克服を目指す。」ことを全体目標に掲げています。計画は、がん予防、がん医療、がんとの共生を三つの柱とし、それらを支える基盤として研究、デジタル化、データ利活用、人材育成、患者・市民との協働などを重視しています。実行期間は2023年度から2028年度までの6年を目安とされています。
参考)https://www.mhlw.go.jp/content/10901000/001712795.pdf
厚生労働省「がん対策推進基本計画」
医療現場で第4期計画を読む際は、抽象的な政策文書として扱うのではなく、自施設の課題に置き換えることが有用です。たとえば、検診後精査の連携が弱い地域では予防・早期発見の施策として、相談支援の利用が少ない施設ではがんとの共生の施策として、診療データの品質にばらつきがある組織では基盤整備の施策として、具体的な改善指標を設定できます。
基本法では、がん患者の雇用継続等への配慮、事業主への啓発、がん患者の就労に関する相談支援体制の整備、その他の就労支援に必要な施策が定められています。がん医療の進歩により、治療を継続しながら就労する患者や、治療後に復職を目指す患者は少なくありません。そのため、「治療に専念するため退職する」という二者択一を前提にせず、患者が希望する働き方を確認し、治療スケジュールや症状の見通しを踏まえて支援を調整する視点が必要です。
診療場面では、初診時や治療開始前から職種、雇用形態、勤務内容、通勤負担、休暇制度、収入面の不安、職場へ病名や治療内容を伝える意向などを確認します。患者の同意なく職場へ情報を提供してはならないことを前提に、必要があれば医療ソーシャルワーカー、両立支援コーディネーター、産業医、社会保険労務士等の支援につなげます。主治医意見書等を作成する場合も、診断名や治療内容だけでなく、通院頻度、治療当日の制限、感染リスク、重量物作業や夜勤への配慮、予測される症状変動など、就業上の具体的な情報を患者の同意の範囲内で示すことが実用的です。
がんに関する教育の推進も基本的施策の一つです。教育は、単発の講演会やパンフレット配布だけを意味しません。学校教育、地域啓発、職域での健康教育、患者・家族への治療教育、医療従事者の継続教育を通じて、がんに対する正しい理解を広げ、偏見や不必要な恐怖を減らす取組です。特に医療者は、早期受診・検診の重要性を伝える一方で、がん罹患を本人の生活習慣だけに帰責するような表現を避け、科学的根拠と患者の尊厳を両立したコミュニケーションを行う必要があります。
基本的施策を現場で機能させる鍵は、法律上の分類を覚えることではなく、患者の経過に沿って支援が途切れないようにすることです。予防から検診、精密検査、治療、支持療法、地域療養、就労・社会生活、看取りに至るまで、誰が何を担い、どこで情報を共有し、支援の抜けをどう見つけて改善するかを多職種で確認することが、がん対策基本法の理念を具体化する第一歩になります。