腹部外傷の診療では、「どの臓器がどの程度損傷しているか」を早期に把握することが重要である一方、治療の優先順位を決める第一軸は循環動態です。腹部外傷は鈍的外傷と穿通性外傷に大別され、鈍的外傷では交通事故、転落、転倒、圧挫、ハンドル外傷などが、穿通性外傷では刺創、銃創、刺入・杙創などが想定されます。損傷機転、受傷エネルギー、シートベルト痕、腹壁損傷、胸部・骨盤・長管骨損傷の併存は、腹腔内損傷の事前確率を左右する情報です。
本邦では、日本外傷学会が監修する改訂第3版「外傷専門診療ガイドラインJETEC」に、腹部外傷の診療手順、穿通性腹部外傷、肝・脾・腎・膵・十二指腸・胃下部消化管・腸間膜損傷の治療戦略が体系的に収載されています。初期診療の枠組みはJATECの考え方と整合させ、ABCDEアプローチ、止血を含む蘇生、画像診断、外科手術およびIVRを時間依存性の高い順に連結させることが実務上の要点です。個別の判断は、患者背景、併存損傷、抗凝固薬・抗血小板薬の使用、妊娠、年齢、施設の人的・物的資源を踏まえて行います。改訂第3版 外傷専門診療ガイドラインJETEC
腹部外傷で避けるべきは、CT画像の詳細な評価を優先するあまり、持続的な出血を伴う患者の確定的止血が遅れることです。ショックを伴う患者では、腹腔内出血だけでなく、胸腔、骨盤後腹膜、四肢、外出血も並行して検索し、出血源コントロールの戦略を組み立てます。反対に、循環が安定した患者では、造影CTにより損傷臓器、損傷程度、造影剤血管外漏出、腹腔内液体、消化管損傷を示す所見、後腹膜損傷を評価し、手術・IVR・非手術的管理の選択精度を高めます。
初療では、気道・呼吸を評価しながら循環不全と出血性ショックを認識し、太い静脈路または骨髄路の確保、採血、血液製剤を含む止血的蘇生、体温管理、トラネキサム酸の適応検討などを並行します。腹部に対しては、視診、聴診、触診、打診に加え、腹部膨満、圧痛、筋性防御、反跳痛、腹壁挫創、シートベルト痕、穿通創、腸管脱出の有無を確認します。ただし、多発外傷、頭部外傷、脊髄損傷、鎮静、挿管、飲酒・薬物、認知機能低下がある患者では、腹部診察の信頼性が著しく低下します。
FASTまたはE-FASTは、ベッドサイドで心嚢液、胸腔内液体・気胸所見、腹腔内自由液の有無を迅速に評価するために有用です。しかし、FASTで確認できる自由液は出血を示唆しても出血臓器を特定するものではなく、腸管損傷・腸間膜損傷を直接診断する検査でもありません。特に初回FAST陰性であっても、受傷直後で出血量が少ない場合、凝血塊、観察条件不良、後腹膜損傷、実質臓器内に限局した損傷などでは偽陰性となり得るため、反復評価と臨床所見の再検討が重要です。
| 項目 | 基準・内容 | 備考 |
|---|---|---|
| 循環不安定 | 低血圧、末梢循環不全、意識変容、蘇生への不十分な反応、継続する輸血・昇圧薬需要など | 腹部出血が疑われFAST陽性なら、原則としてCTを優先せず迅速な止血戦略を選ぶ |
| FAST陽性 | 心嚢・胸腔・腹腔内の自由液を示唆する所見 | 循環不安定例では重要な意思決定材料。安定例では造影CTへ進み損傷部位を評価する |
| 循環安定または安定化後 | 搬送・撮影中も安全な生理学的状態を維持できる患者 | 造影CTで臓器損傷、血管外漏出、消化管・腸間膜損傷、後腹膜損傷を総合評価する |
| 腹膜刺激症状 | 筋性防御、反跳痛、強い圧痛、明らかな汚染を示唆する臨床所見 | 中空臓器損傷や腹腔内汚染を疑い、手術適応を速やかに再評価する |
| 評価不能例 | 意識障害、挿管・鎮静、重症頭部外傷、脊髄損傷、重篤な併存損傷など | 診察単独に依存せず、損傷機転、画像、バイタル推移、採血推移、必要時の再CTを統合する |
鈍的腹部外傷のうち、肝臓、脾臓、腎臓などの実質臓器損傷に比べて、腸管・腸間膜損傷は初回診察や初回CTで確定しにくいことがあります。小腸穿孔では、腸内容が比較的低刺激性であること、血管損傷後の虚血・壊死によって穿孔が遅発することがあるため、腹膜刺激症状が数時間以上経過してから顕在化する場合があります。そのため、「CTで明確な穿孔所見がない」ことと「腸管損傷がない」ことを同義に扱わない姿勢が求められます。
とくにシートベルト痕は、腹壁に帯状の皮下出血・擦過傷を認める所見であり、腸管・腸間膜損傷、腰椎損傷などを想起する手掛かりです。WSESの腸管損傷ガイドラインでは、シートベルト痕がある患者ではCTを行い、腸管損傷への高い警戒を維持することが推奨されています。また、高リスク機転、シートベルト痕、非特異的CT所見、または診察不能という条件がある場合には、入院下での反復診察が重要とされます。
鈍的肝損傷・脾損傷では、循環動態が安定しており、腹膜炎や他の開腹適応となる損傷がなく、十分な監視体制と救済治療が確保される場合、損傷グレードが高くても非手術的管理、すなわちNOMが選択肢になります。ここで重要なのは、NOMを「何もしない保存的治療」と理解しないことです。NOMは、外傷チームによる連続的な臨床評価、バイタルサインの監視、Hbを含む検査の反復、再画像評価、輸血、IVR、緊急開腹術への迅速な移行を内包する能動的な治療戦略です。
肝損傷では、造影CTで動脈性造影剤血管外漏出、いわゆるarterial blushを認める循環安定例に対し、血管造影および経カテーテル動脈塞栓術が止血手段として検討されます。IVRはNOMを補完する重要な選択肢ですが、患者を血管撮影室へ安全に移動させること、処置中の急変時に外科的止血へ移行できること、血液製剤と麻酔・手術室を含む体制があることが前提です。transient responderでは、短時間の反応を「安定」と誤認せず、出血継続を前提として、開腹とIVRのどちらが最短で確実な止血に結び付くかを判断します。
肝損傷のWSESガイドラインは、他に手術を必要とする腹腔内損傷がなく、循環が安定している場合、軽症から重症までの肝損傷でNOMを治療選択肢の中心に置いています。一方で、循環不安定かつ蘇生に反応しない患者では手術的管理を行い、初回手術の目的を出血と胆汁漏の制御、ならびにdamage control resuscitationの開始としています。高グレード損傷のNOMやtransient responderへの対応は、24時間の外科・麻酔・放射線部門の連携、ICU相当の監視、IVR、輸血、緊急手術が可能な外傷診療体制でのみ安全性を担保し得ます。
腹部外傷における緊急開腹術は、画像で解剖学的診断を完成させるためではなく、生命を脅かす出血と腹腔内汚染を制御するために行います。循環動態が不安定で腹腔内出血が疑われる患者、蘇生に反応しない患者、明らかな腹膜炎、腸内容物の創部流出、消化管脱出、刺入物の遺残、直腸出血、吐血や胃管からの明らかな血性排液などは、開腹を強く考慮する所見です。穿通性外傷では創部の部位・深さ・方向、腹膜穿破の有無、受傷エネルギー、臨床診察の信頼性を加味し、局所創部検索、CT、診断的腹腔鏡、開腹術を使い分けます。
開腹術を選択した場合、初回手術の目標は生理学的破綻を増幅させないことです。低体温、アシドーシス、凝固障害を伴う状況では、複雑な再建を完遂するよりも、パッキング、血管結紮・一時的制御、消化管汚染の制御、一時的腹壁閉鎖などのdamage control surgeryを優先し、集中治療室での蘇生後にplanned reoperationを行う戦略が必要となります。開腹の適応は外科医だけで閉じず、救急医、麻酔科医、放射線診断・IVR医、看護師、輸血部、集中治療スタッフが共通の時間軸で情報を共有することが重要です。
腹部外傷の診療品質を高めるには、患者ごとの意思決定理由を明確に記録することも有用です。具体的には、受傷機転、初診時と経時的な循環動態、FASTの反復結果、CTの重要所見、腹部診察の信頼性、輸血量、NOMを選んだ場合の監視場所と再評価計画、IVR・手術へ移行する閾値をチームで共有します。腹部外傷ガイドラインは固定的な手順書ではなく、時間とともに変化する病態を再評価し、限られた時間で最も安全な止血・汚染制御へ到達するための判断枠組みとして活用することが重要です。