エピジェネティクス(epigenetics)とは、DNAの塩基配列そのものを変化させることなく、遺伝子の「読まれ方(オン・オフ)」を制御し、細胞分裂後もその状態が継承される仕組み、およびその現象を研究する学問領域を指します 。
参考)エピジェネティクスとは?
エピジェネティクスの厳密な定義は「遺伝子(DNA)の配列変化を伴わずに、子孫や分裂後の細胞などに伝達される、その遺伝子機能の変化」とされています 。この仕組みにより、環境要因や生活習慣が遺伝子の働きに影響を与え、疾患リスクや老化プロセスに深く関与することが明らかになってきました 。
エピジェネティクスという言葉は、ギリシャ語の「epi(上・後に)」と「genetics(遺伝学)」に由来し、「遺伝学の上に成り立つ学問」という意味を持ちます 。1942年にコンラッド・H・ウォディントンによって造語され、当初は「遺伝子がどのようにして表現型を生み出すか」を説明する概念として用いられました 。
参考)https://www.activemotif.jp/epigenetics-101
現在では、より狭義の定義として「DNA塩基配列の変化を伴わない細胞分裂後も継承される遺伝子発現あるいは細胞表現型の変化を研究する学問領域」とされています 。この定義の重要なポイントは以下の3点です。
DNAメチル化は、エピジェネティックな制御機構の中で最もよく研究されているメカニズムの一つです 。4つの塩基(アデニン、チミン、グアニン、シトシン)の組み合わせの中で、シトシンの次にグアニンが続く配列(CpGジヌクレオチド)のシトシンに、メチル基(-CH₃)が付加され、5-メチルシトシンになる現象を指します 。
参考)エピジェネティクス|環境儀 No.59|国立環境研究所
DNAメチル化の主な機能は以下の通りです。
参考)https://genetics.qlife.jp/tutorials/How-Genes-Work/epigenetics
DNAメチル化パターンは、細胞の種類や発生段階、さらには環境要因によって動的に変化します。例えば、がん細胞では、がん抑制遺伝子のプロモーター領域で異常な高メチル化が観察され、これらの遺伝子がサイレンシングされることで、細胞の無制限な増殖が引き起こされます 。
参考)エピジェネティクスとは?遺伝子のスイッチを切り替える仕組みを…
DNAは細胞核内で、ヒストンと呼ばれるタンパク質に巻き付いて「ヌクレオソーム」という構造を形成し、さらに折りたたまれて「クロマチン」として存在しています 。ヒストン修飾とは、このヒストンタンパク質の尾部に起こる化学的な変化のことで、メチル化・アセチル化・リン酸化・ユビキチン化など多様な修飾が存在します 。
クロマチンリモデリングは、ATPのエネルギーを利用してヌクレオソームの位置や構成を再編成するプロセスで、エピジェネティックな制御の主要なメカニズムの一つです 。
エピジェネティックな異常は、多因子疾患と言われる生活習慣病やがんの発症に深く関与していることが明らかになっています 。
参考)https://www.rcast.u-tokyo.ac.jp/content/000003056.pdf
がんにおけるエピジェネティクス
がん細胞で観察されるエピジェネティックな異常には以下のようなものがあります。
生活習慣病におけるエピジェネティクス
胎児期の栄養環境や摂取する食物成分、化学物質などによってエピジェネティックな変化が生じ、成人期の肥満症や2型糖尿病、心血管疾患などの生活習慣病の罹患性に影響を与える可能性が示唆されています 。
例えば、オランダの「飢餓の冬」の研究では、妊娠中に飢餓に曝された母親から生まれた子供は、成人後に肥満や心血管疾患のリスクが高いことが報告されており、これは胎児期の栄養環境がエピジェネティックな変化を誘導した結果と考えられています 。
WHOも推進するエピジェネティクス研究 食による遺伝子のオンオフ
エピジェネティクスの理解が深まるにつれ、その臨床応用の可能性が広がっています。
エピジェネティック・バイオマーカー
環境要因(放射線、汚染物質、内分泌かく乱化学物質など)によるエピジェネティックな変化は、発がん初期に生じるだけでなく、バイオマーカー(病気の早期診断や進行・治療状況を客観的に測定し評価する指標)にもなり得ることが実証されています 。
参考)WHOも推進するエピジェネティクス研究 食による遺伝子のオン…
DNAメチル化パターンを解析することで、がんの早期発見や、治療反応性の予測、再発リスクの評価などが可能になります。
エピジェネティック治療薬
エピジェネティックな修飾が可逆的であるという特性を活かして、DNAメチル化阻害剤やヒストン脱アセチル化酵素(HDAC)阻害剤などの薬剤が開発され、一部の血液がんや固形がんの治療に承認されています 。
参考)エピジェネティクスとは|DNA配列を変えずに遺伝子を制御する…
CRISPRエピゲノム編集
近年、CRISPR-Cas9システムを応用したエピゲノム編集技術が開発され、特定の遺伝子領域のエピジェネティックな状態を人為的に変化させることが可能になりました 。この技術は、遺伝子配列を変化させずに遺伝子発現を制御できるため、遺伝子治療の新たなアプローチとして期待されています。
エピジェネティック・クロック
DNAメチル化パターンを利用して生物学的年齢を推定する「エピジェネティック・クロック」が開発され、老化研究や寿命予測、健康寿命の延長に向けた研究に活用されています 。
エピジェネティクスの知識は、医療従事者の日常診療や研究に以下のような実践的な示唆を与えます。
患者への生活指導
エピジェネティックな変化は環境要因や生活習慣の影響を受けるため、患者に対して以下のような生活指導が重要です。
個別化医療への応用
患者のエピゲノムプロファイルを解析することで、疾患リスクの評価、治療反応性の予測、最適な治療法の選択など、個別化医療の実現に貢献できます 。
研究への応用
エピジェネティクスの研究手法(DNAメチル化解析、ヒストン修飾解析、クロマチンアクセシビリティ解析など)を臨床研究に応用することで、疾患の新たなメカニズムの解明や、治療標的の同定が可能になります 。
参考)エピジェネティクス解析試薬|遺伝子実験|【ライフサイエンス】…
医療従事者は、エピジェネティクスの基礎的な知識を身につけ、日常診療や研究に活用することで、患者の予後改善や新たな治療法の開発に貢献できるでしょう。