WHOが示す健康の定義と臨床への活用

世界保健機関(WHO)の健康の定義は、単なる無病ではなく身体・精神・社会的なウェルビーイングを含みます。医療従事者はこの理念を患者支援や多職種連携にどう生かせるでしょうか?

世界保健機関 健康の定義の基礎知識と核心ガイド

健康を多面的に捉えるWHOの視点
無病だけでは健康ではない

WHOは疾病や病弱がないことを、健康であるための唯一の条件とは位置づけていません。

身体・精神・社会性を統合する

症状、心理状態、生活環境、人間関係や社会参加を一体として評価する視点が重要です。

臨床では本人の目標を起点にする

疾患管理だけでなく、患者が望む生活や役割の実現を支援することが健康観の実践につながります。


WHOにおける「健康」の正式な定義


世界保健機関(World Health Organization:WHO)は、WHO憲章の前文において健康を「完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、単に疾病又は病弱の存在しないことではない」と定義しています。原文では、“Health is a state of complete physical, mental and social well-being and not merely the absence of disease or infirmity.”と記載されています。
この定義は、1946年7月22日に採択されたWHO憲章に含まれ、1948年4月7日に同憲章が発効したことで国際的な保健理念の基盤となりました。WHOの設立目的も「あらゆる人々が到達し得る最高水準の健康に到達すること」とされており、健康は医療サービスの結果だけではなく、人が尊厳を保ちながら生活するための基本的権利として扱われています。


参考)https://www.who.int/about/governance/constitution
この一文が持つ重要性は、医療者の視線を「疾患の有無」から「その人の暮らし全体」へと広げる点にあります。例えば、検査値が安定し、薬物療法で症状がコントロールされていても、不安、孤立、経済的困難、就労上の支障、家族関係の悪化などによって本人が生活の充実を感じられない場合があります。WHOの定義は、その状態を単純に「健康」と言い切ることへの問いを投げかけています。
WHO Constitution of the World Health Organization


「完全な福祉」を構成する三つの側面

WHOの健康の定義は、身体的、精神的、社会的という三側面を明示した包括的な健康観です。ただし、「完全」という表現を、常に症状がなく、悩みもなく、社会生活上の困難も皆無である完璧な状態と機械的に解釈する必要はありません。臨床では、患者が制約や疾患を抱えながらも、自分にとって意味のある生活を送り、支援を受けながら望む役割を果たせるかという視点が実践的です。

項目 基準・内容 臨床で確認したい視点
身体的ウェルビーイング 症状、身体機能、疼痛、栄養、睡眠、活動性などが保たれた状態 疾患活動性、ADL、治療有害事象、セルフケア能力、フレイルの有無を評価する
精神的ウェルビーイング 感情の安定、自己効力感、ストレスへの対処、希望や意味づけに関わる状態 不安・抑うつ、睡眠障害、認知機能、治療理解、服薬への負担感を確認する
社会的ウェルビーイング 家族・友人との関係、就労、経済、住環境、地域とのつながり、社会参加に関わる状態 介護力、孤立、医療費、通院手段、仕事との両立、制度利用、退院後の生活を把握する

身体面は医療機関で最も評価されやすい領域ですが、WHOの定義では三側面のいずれかを切り離して扱うことはできません。たとえば、抗がん薬治療に伴う倦怠感や末梢神経障害は、身体症状にとどまらず、就労の継続困難、家族内役割の変化、外出機会の減少、将来への不安につながります。反対に、家族や職場からの支援、経済的制度の利用、症状への適切な対処は、治療継続や生活の安定を支える要素になります。


「病気がない」と「健康」はなぜ異なるのか

疾病が見つからないことと、本人が健康であることは同義ではありません。健診結果に大きな異常がなくても、慢性的な睡眠不足、過重労働、孤独、介護負担、経済的な不安、ハラスメント、依存、生活習慣上の困難などによって、健康感や生活の質が損なわれることがあります。WHOの定義は、病理学的・診断学的な異常の有無だけで健康を判定しないという視点を提示しています。
一方で、慢性疾患、障害、がんの治療歴、高齢による機能低下を抱えていても、本人が症状をコントロールし、支援体制を持ち、自分の生活目標や社会的役割を維持できている場合があります。このような人を「病気があるから不健康」と一律に扱うことは、本人の適応力、価値観、主体性、生活の満足度を見落とすことにつながります。

  • 高血圧患者では、降圧目標の達成だけでなく、服薬継続の負担、食事の楽しみ、家庭血圧測定への不安、医療費、受診継続のしやすさを確認する。
  • 糖尿病患者では、HbA1cだけでなく、低血糖への恐怖、シックデイ対応への理解、仕事中の自己注射や食事調整、家族の協力を把握する。
  • がん患者では、治療反応や有害事象に加え、就労・育児・介護との両立、外見変化、孤立感、意思決定の葛藤を評価する。
  • 高齢患者では、疾患数や処方数だけでなく、転倒不安、移動手段、服薬管理能力、認知機能、社会資源、本人が大切にする日常活動を確認する。

したがって、医療従事者がWHOの健康観を臨床に生かす際には、「何の疾患があるか」だけでなく、「その疾患や治療によって、どの生活領域が影響を受けているか」「本人は何を回復・維持したいと考えているか」を尋ねることが重要です。


医療従事者が実践する包括的アセスメント

WHOの健康の定義を現場で実践するためには、診療、服薬指導、退院支援、訪問支援、地域連携において、患者の生活背景を系統的に把握する必要があります。すべてを一度に聴取するのではなく、患者の治療段階、時間的余裕、体調、相談ニーズに合わせて、優先順位をつけて確認します。
薬剤師であれば、薬剤選択やアドヒアランス評価の際に、腎機能・肝機能・相互作用・有害事象だけでなく、「飲み忘れが起きる場面」「薬を飲むことへの抵抗感」「費用負担」「剤形や服用タイミングが仕事・学校・食事に与える影響」を確認できます。看護師であれば、症状観察やセルフケア支援とともに、患者の不安、家族の介護力、退院後の生活動線、受診継続を妨げる要因を把握し、多職種につなげる役割を担えます。
実践では、「治療で最も困っていることは何ですか」「普段どおりにできなくなったことはありますか」「ご自宅や職場で支えてくれる方はいますか」「この治療を続けるうえで心配なことは何ですか」「これからも続けたい生活や大切にしたいことはありますか」といった開かれた質問が有用です。これらの質問は、患者を評価の対象として扱うのではなく、治療の共同意思決定に参加する主体として尊重する姿勢にもつながります。
さらに、社会的課題が明らかになった場合には、医師、看護師、薬剤師、管理栄養士、リハビリテーション職、医療ソーシャルワーカー、心理職、ケアマネジャー、地域包括支援センターなどとの連携を検討します。疾患の治療を最適化しても、住宅、所得、就労、家族支援、交通手段といった条件が整わなければ、健康の維持や治療継続が難しくなることがあるためです。


WHOの定義を使う際の注意点と意義

WHOの定義は健康を広く捉えるための強力な理念ですが、個人を「完全な状態に到達しているか」で選別するための診断基準ではありません。「完全な身体的、精神的及び社会的福祉」という表現を文字どおりの完璧さとして用いると、慢性疾患、障害、加齢、社会的困難を持つ人を恒常的に「不健康」とみなす危険があります。そのため現場では、本人にとってのウェルビーイング、可能な範囲での機能維持、苦痛の軽減、希望する生活の実現を重視する解釈が求められます。
WHO憲章の原則は、健康が基本的人権であることも掲げています。これは、健康問題を個人の努力不足だけに帰属させず、医療アクセス、所得、教育、住居、労働、差別、地域資源などの社会的条件にも目を向ける必要性を示します。精神的健康についても、WHOは単に精神障害がないことではなく、自身の能力を発揮し、日常的なストレスに対処し、生産的に働き、地域社会へ貢献できるウェルビーイングの状態として説明しています。


参考)https://www.who.int/data/gho/data/major-themes/health-and-well-being
医療従事者にとってWHOの健康の定義は、検査値や疾患名を軽視する考え方ではなく、それらを患者の生活文脈の中に位置づけ直すための枠組みです。身体症状の改善、治療安全性の確保、心理的苦痛の軽減、社会参加の支援を結び付けることで、患者にとって意味のあるアウトカムを設定しやすくなります。疾患を治すことが難しい局面でも、苦痛を減らし、意思決定を支え、望む生活を可能な限り守ることは、WHOが示した包括的な健康観に沿う重要な医療実践といえるでしょう。




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