
医療従事者が民法上の責任を問われる場合、主に不法行為責任(民法709条)または債務不履行責任(民法415条、善管注意義務違反)が問題となります 。不法行為責任の成立要件は以下の3点です 。
参考)https://www2.kobe-u.ac.jp/~emaruyam/medical/Lecture/slides/160612funso.pdf
このうち「過失」とは、臨床検査技師や医師など医療従事者に求められている注意義務に違反するものをいいます 。医療過誤に基づく損害賠償請求訴訟において、この注意義務違反(過失)の判断が核心的な争点となります。
重要なのは、医療従事者の間で行われていた慣行に従っていたとしても、注意義務違反が否定されるとは限らないという点です 。注意義務の存否は法的判断によって決定されるべき事項であり、慣行は過失の軽重を判定する際に参酌されるにすぎません 。
参考)https://www2.kobe-u.ac.jp/~emaruyam/medical/Lecture/slides/121103funsou.pdf
医療従事者の注意義務の基準について、最高裁判例は明確な指針を示しています。最判昭和36年2月16日は、「人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者は、その業務の性質に照らし、危険防止のため実験上必要とされる最善の注意義務を要求される」と判示しました 。
参考)令和2年−問34 - 行政書士試験 過去問【行政書士試験!合…
その後、最判昭和57年3月30日(高山日赤事件)において、この注意義務の基準となるべきものは「診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である」と具体化されました 。この判旨は現在においても維持されており、医療訴訟における過失判断の基本的な枠組みとなっています 。
参考)医療従事者の損害賠償責任
医療水準とは、行為当時の医学的知見・医療上の知見に基づく適切な医療行為を慎重に実施することを意味します 。したがって、医療従事者は、診療当時の臨床医学の実践において確立されている標準的な医療を提供することが求められます。
参考)https://www2.kobe-u.ac.jp/~emaruyam/medical/Lecture/slides/200926funsou.pdf
過失(注意義務違反)の成立には、結果予見義務違反と結果回避義務違反の2つの要素が必要です 。
参考)理学療法士に関連する裁判例の検討 (理学療法ジャーナル 40…
結果回避義務は結果予見義務を前提としており、予見できた結果を回避する義務が問題となります 。逆に、事故が発生した場合でも、①発生を予見することが不可能だった場合、または②結果を回避することが不可能だった場合には、注意義務違反(過失)は否定されます 。
予見可能性とは、注意すれば特定の出来事が発生することを予測・予見できたという可能性をいい、回避可能性とは、特定の出来事が発生しないようにすることができたという可能性をいいます 。医師に責任を問うための過失は、医師がそのときに予測ができるものであり、かつ不都合な結果を避けられることが前提となります 。
参考)予見可能性・回避可能性
ただし、損害発生の予見可能性・回避可能性がある場合にかならず損害回避義務が課されるわけではありません。例えば、合併症の危険がある手術の実施などが該当します 。予見可能性と結果回避措置内容とが見合っている場合には注意義務を課しうると考えられています 。
参考)https://www2.kobe-u.ac.jp/~emaruyam/medical/Lecture/slides/160612funso4.pdf
医療過誤訴訟において、注意義務違反が認められたとしても、患者の死亡等の生じた結果について責任を負わせるには、因果関係の立証がなされなければなりません 。
参考)https://www.avance-lpc.com/hanrei/hanrei-17.html
訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる「高度の蓋然性」を証明することです 。この判定は、通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつそれで足りるとされています(最判昭和50年10月24日)。
「高度の蓋然性」を数字で表すことは困難ですが、分かりやすさのためにあえて数字で説明すると、80%程度確かである状態を指すのではないかと考えられています 。証明主題の正しさを80%以上の確率で証明することと理解され、患者が死亡した事案では、「仮に当該医師が適切な診療行為を尽くしていれば、患者の死亡を避けられた可能性が80%以上であることを証明すること」と解されます 。
参考)万が一の時にそなえて!医療訴訟の基礎知識 vol 4 現役裁…
なお、医療行為が作為か不作為かを問わず、その医療行為が結果を招来させた関係を認めうる高度の蓋然性の証明が必要とされます(最判平成11年2月25日)。
医療従事者の注意義務として、あまり注目されませんが重要なのが診療記録(カルテ)の保管義務と証拠能力に関する問題です。
民法上の注意義務には、診療行為そのものだけでなく、診療記録の適正な作成・保管も含まれます。診療記録は、医療行為の内容、経過、結果を客観的に証明する重要な証拠であり、訴訟において決定的な役割を果たします 。
参考)医療過誤でどのような責任が問題となる?弁護士が解説 - 医療…
診療記録の不備、改ざん、または保管期間の違反は、それ自体が注意義務違反として評価される可能性があります。また、診療記録が存在しない、または不十分な場合、医療従事者は「医療行為を適切に行った」ということを立証することが困難になり、事実上の不利益を被ることになります。
さらに、チーム医療として手術が行われる場合、チーム医療の総責任者は、条理上、患者やその家族に対し、手術の必要性、内容、危険性等についての説明が十分に行われるように配慮すべき義務を有すると解されています 。この説明義務も、広義の注意義務の一環として捉えることができます。
医療過誤に基づく損害賠償請求の場面では、不法行為責任(民法709条)のほか、債務不履行責任(民法415条)も問題となります 。
債務不履行責任においては、善管注意義務(民法656条・644条)を遵守した適切な診療を行ったか否かが問われます 。善管注意義務とは、「善良な管理者の注意」とも呼ばれ、その人の職業や社会的地位等から通常(合理的に)要求される程度の注意を意味します 。
医療従事者の場合、この善管注意義務の基準も、「診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準」とされています(最判昭和57年3月30日)。したがって、不法行為責任と債務不履行責任のいずれにおいても、医療水準が注意義務の基準として機能することになります。
ただし、医師が医療スタッフの間で行われていた慣行に従って医療行為をしたからといって、臨床医学の実践における医療水準に従った注意義務を尽くしていたとは限りません(最判平成8年1月23日)。この点は、不法行為責任と同様の解釈がなされています。
医療従事者が実務上押さえるべき注意義務に関するポイントを以下に整理します。
これらのポイントを日常的に意識することで、民法上の注意義務違反を未然に防ぐことが可能となります。
医療訴訟において、因果関係の立証が80%程度の確率(高度の蓋然性)で認められれば、患者側の請求は認められます 。逆に、50%~70%程度の可能性であれば、「相当程度の可能性」として慰謝料は認められるものの、逸失利益は認められないという判例もあります 。
このように、医療従事者の注意義務は、単に「ミスをしない」ことだけでなく、医療水準に適合した医療行為を慎重に実施し、予見可能なリスクを適切に回避する措置を講じることまでを含んでいます。日々の診療において、これらの法的要件を意識することが、医療過誤訴訟のリスク低減につながります。