
医療過誤において最も頻繁に問題となるのが、民法709条に基づく不法行為責任です。同条は「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」と規定しています。
参考)https://www2.kobe-u.ac.jp/~emaruyam/medical/Lecture/slides/230716funsou.pdf
医療現場では、この「過失」が注意義務違反として認定されるかどうかが争点となります。注意義務違反とは、損害発生の予見可能性と回避可能性に裏づけられた結果回避義務違反を指します。
具体的には以下の3要素が検討されます。
重要なのは、単にミスがあったからといって直ちに過失が認定されるわけではない点です。予見可能性と回避可能性の両方が認められて初めて、注意義務違反が成立します。
現在ではこの2つの注意義務を合わせて考え、「危険な結果の発生を予見し、回避することを怠った場合」に過失(注意義務違反)があったと認定されます。
参考)[4~6年生向け]医師国家試験出題基準に加わった新ワード(そ…
医療機関の診療契約違反とは、通常、医療機関の注意義務(善管注意義務)違反を主張・立証する必要があります。例えば、薬剤の種類を十分確認して投与すべき義務などが具体例として挙げられます。
参考)医療過誤でどのような責任が問題となる?弁護士が解説 - 医療…
医師の注意義務の基準となるのが「医療水準」です。最高裁は、医師が果たすべき義務を果たしたか否かは、当該治療が「診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準」に照らして適切であったか否かによって判断するという基準を示しました(最高裁昭和57年3月30日判決)。
参考)https://www.hyoron.co.jp/files/ndr/2016/kommentar/1605_kommentar.pdf
重要な点は、医療水準は「当該医療機関の性格、所在地域の医療環境の特性等の諸般の事情」によって異なることです。例えば、当該医療機関が大学病院なのか、一般開業医であるのか等によって、求められる注意義務の程度が異なります。
最高裁医療判例- 谷直樹法律事務所 - 注意義務違反(過失)とは
医療水準は、医師の注意義務の基準(規範)となるものですから、平均的医師が現に行っている医療慣行とは必ずしも一致するものではなく、医師が医療慣行に従った医療行為を行ったからといって、医療水準に従った注意義務を尽くしたと直ちにいうことはできない、とされています(最高裁平成8年1月23日判決)。
参考)http://medicallaw.jp/qanda3-3.html
言い換えると、当該医療行為がなされた当時、当該医療行為を行った担当医と同じ立場におかれた一般的な医師に求められる注意を払ったか否かによって、善管注意義務を果たしたか否かが判断されます。
実際の判例から、注意義務違反が認定された具体例を見てみましょう。
東京都立広尾病院事件(1999年):関節リウマチの手術を受けた入院中の女性患者に対して、血液凝固防止剤を点滴すべきところ、看護婦が誤って消毒薬を点滴して患者を死亡させた医療過誤事件です。この事例では、注意義務違反=(損害発生の予見可能性と回避可能性に裏づけられた)結果回避義務違反が認定されました。
参考)https://www2.kobe-u.ac.jp/~emaruyam/medical/Lecture/slides/210904funsou_4.pdf
心筋梗塞診断遅延事件(最高裁平成12年9月22日):狭心症発作で来院した患者に対し、医師が触診及び聴診を行っただけで、胸部疾患の既往症を聞き出したり、血圧、脈拍、体温等の測定や心電図検査を行うこともせず、狭心症の疑いを持ちながらニトログリセリンの舌下投与もしていないなど、胸部疾患の可能性のある患者に対する初期治療として行うべき基本的義務を果たしていなかった事例です。
参考)https://www.avance-lpc.com/hanrei/hanrei-17.html
最高裁は、「医療水準を満たさない)医療行為と患者の死亡との間の因果関係の存在は証明されないけれども、医療水準にかなった医療が行われていたならば患者がその死亡の時点においてなお生存していた相当程度の可能性の存在が証明されるときは、医師は、不法行為責任を負う」と判示しました。
医療判決紹介: 2023年アーカイブ - MedSafe
近年の判例では、エコーガイド下マンモトーム生検の局所麻酔後に気胸を発症した事例で、医師に麻酔針を漫然と胸腔内に進行させた手技上の注意義務違反が認められています。また、看護師が採血の際に正中神経を損傷し、これに起因する複合性局所疼痛症候群typeⅡ(カウザルギー)を発症させたとして採血手技上の注意義務違反が認められた高裁判決もあります。
参考)医療安全推進者ネットワーク: 医療判決紹介: 2023&#2…
医療過誤において、医師だけでなく看護師などの医療スタッフも注意義務違反の責任を問われる可能性があります。ミスをした看護師は、医師と同様、不法行為・安全配慮義務違反を行なった当事者として、不法行為責任(民法709条)を負う可能性があります。
意外な事実:多くの医療従事者が知らない重要な点として、注意義務違反が認められても、必ずしも損害賠償が認められるわけではありません。注意義務違反(過失)があっても、因果関係がない場合は、損害賠償は認められません。
また、注意義務の基準は「一般人の医療に対する期待」と「医療側の事情」との間で、裁判所が、法的な観点(損害賠償を認めるのが法的に相当か)から認定します。このため、医療慣行に従っていただけでは不十分で、医療水準に適合した医療行為が求められます。
さらに、医療法第82条(2018年改正)では、民事責任損害賠償部分について明文規定が追加されました。「医事人員因執行醫療業務致生損害於病人,以故意或違反醫療上必要之注意義務且逾越合理臨床專業裁量所致者為限,負損害賠償責任」と規定され、注意義務之違反及臨床專業裁量之範圍については、「該醫療領域當時當地之醫療常規、醫療水準、醫療設施、工作條件及緊急迫切等客觀情況為斷」と明文化されています。
参考)https://www.angle.com.tw/ahlr/discovery/post.aspx?ipost=7670
医療過誤でどのような責任が問題となる?弁護士が解説 - デイライト法律事務所
この改正により、医療従事者の注意義務違反の判断基準がより明確化され、臨床専門裁量の範囲も客観的事情に基づいて判断されるようになりました。
医療従事者が実務上で留意すべきポイントを整理します。
📌 予見可能性の検討。
📌 回避可能性の検討。
📌 医療水準の適合性。
📌 文書化の重要性。
📌 チーム医療における役割分担。
注意義務違反の立証ができない場合は、損害賠償は認められません。しかし、一度訴訟となれば、医療従事者にとって大きな負担となります。日頃から医療水準に適合した診療を行い、適切な文書化とチーム連携を心がけることが、最も効果的なリスクマネジメントと言えます。