
犬の角膜穿孔とは、角膜上皮および実質の欠損が角膜全層に及び、前房と外界が交通する状態を指す。通常は角膜潰瘍が深部へ進行して生じるが、咬傷、草葉・枝などによる外傷、異物、角膜の融解を伴う感染性角膜炎、化学的損傷などでも発症する。深い潰瘍でデスメ膜のみが残った状態はデスメ膜瘤と呼ばれ、穿孔にきわめて近い危機的な段階である。
穿孔後には、房水の漏出、浅前房または前房消失、低眼圧、虹彩脱出、フィブリン析出、前部ぶどう膜炎、前房内感染などが問題となる。眼球壁としての角膜が破綻しているため、単なる「目の傷」ではなく、眼球の形態と視機能を失う危険がある外科的緊急疾患として扱う必要がある。深部角膜潰瘍、デスメ膜瘤、または虹彩脱出を伴う穿孔では、脆弱化した眼球を支えるため緊急の外科的対応が必要とされる。
参考)Deep Stromal Corneal Ulcers, D…
臨床上は、角膜混濁、強い眼瞼けいれん、流涙、羞明、結膜充血、前房の変化、角膜表面の陥凹または突出、虹彩様組織の露出などを認める。飼い主が「白目が赤い」「黒目が白く濁った」「目を開けない」「目の表面に黒い膜のようなものが見える」と訴える場合、穿孔またはその前段階を常に鑑別に含める。特に短頭種では、眼球突出、眼瞼裂の過大、鼻皺毛による角膜刺激、内眼角の構造異常、角膜知覚低下などが重なり、潰瘍が急速に深部化することがある。
Merck Veterinary Manual:深部角膜潰瘍・デスメ膜瘤・虹彩脱出
診察時にはまず、患眼への圧迫や不用意な眼瞼開大を避け、眼球の構造をさらに損なわないように取り扱う。深い穿孔では、強い保定、眼球への圧迫、角膜表面への綿棒接触、突出組織の強引な整復、付着フィブリンや壊死組織の積極的な除去が、房水漏出、虹彩損傷、網膜剥離などの追加障害を招きうる。穿孔眼では、外科修復前に機械的操作を最小限にすべきとされる。
参考)https://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/9781118840801.ch74
角膜潰瘍が疑われる段階ではフルオレセイン染色が基本検査となるが、明らかな全層欠損、虹彩脱出、房水漏出が疑われる場合には、検査のための接触操作自体が危険になりうる。全身状態が許せば、低倍率でのスリットランプ検査、前房深度、虹彩・瞳孔の形状、眼圧、対側眼の状態、眼瞼・睫毛・鼻皺毛、涙液量、角膜知覚、眼底が観察可能かどうかを総合的に評価する。
Seidel試験で房水漏出を確認できる場合もあるが、明らかな穿孔に対して検査を優先して治療を遅らせるべきではない。細菌感染、特に融解性角膜炎が疑われる場合は、可能な範囲で角膜細胞診および培養・感受性試験用検体を採取する。細胞診で桿菌、球菌、好中球、角膜細胞、真菌要素の有無を確認することは、初期抗菌薬選択と治療強度の判断に役立つ。
| 項目 | 基準・内容 | 備考 |
|---|---|---|
| 病変の深さ | 実質欠損、デスメ膜瘤、全層穿孔の有無を評価する | 深部病変ほど早期の外科紹介を検討する |
| 房水漏出 | 浅前房、低眼圧、Seidel陽性、角膜表面の湿潤を確認する | 漏出があれば眼球壁破綻を強く疑う |
| 虹彩脱出 | 角膜欠損部に暗褐色から黒色の組織を認める | 露出組織を押し戻そうとしない |
| 感染性所見 | 融解、黄白色浸潤、急速進行、膿性眼脂、細胞診異常を確認する | 培養採取後も治療開始を遅らせない |
| 基礎疾患 | 乾性角結膜炎、眼瞼内反、異所性睫毛、短頭種眼症候群などを探索する | 再発予防には原因是正が不可欠 |
角膜穿孔の治療目標は、第一に眼球の閉鎖性を回復して眼内組織を保護すること、第二に感染・角膜融解・疼痛・ぶどう膜炎を制御すること、第三に可能な限り透明性と視覚を保持することである。穿孔の大きさ、位置、経過、感染の程度、虹彩脱出の有無、残存角膜量、飼い主が望む視機能、術者の経験と利用可能な材料を踏まえ、治療法を選択する。
抗菌薬治療は、感染性潰瘍または感染が否定できない症例では必須の支持療法である。深部角膜潰瘍では、細胞診・培養情報を可能な限り活用しながら、広域スペクトラムの局所抗菌薬を高頻度投与する。融解性角膜炎ではプロテアーゼ活性が角膜実質融解に関与するため、自己血清、EDTA、N-アセチルシステイン、テトラサイクリン系薬剤などの抗コラゲナーゼ戦略が補助的に検討される。ただし、抗コラゲナーゼ療法については臨床研究の質と治療法間の比較が十分とはいえず、標準治療を代替するものではなく、外科的閉鎖や適切な抗感染治療と併用する位置づけが妥当である。
参考)pubmed.ncbi.nlm.nih.gov
疼痛および毛様体けいれんへの対応として、アトロピン点眼を用いることがある。全身性鎮痛薬も症例ごとに必要となる。一方、感染性角膜潰瘍や角膜融解が疑われる急性期に、局所副腎皮質ステロイドを安易に使用することは避ける。コラーゲン分解を促進し、感染の悪化や穿孔進展につながるおそれがあるためである。全身性抗炎症薬についても、角膜の修復状況、腎・消化管リスク、感染制御の状況、ぶどう膜炎の程度を踏まえて個別に判断する。
結膜フラップ術は、血流を伴う組織で潰瘍部を覆い、構造的支持と治癒促進を図る方法である。感染・融解を伴う病変、周辺角膜の血管新生が乏しい症例、深い実質欠損で有用性が高い。一方で、病変部を覆うため視軸上では視覚への影響を生じうる。また、術後の病変観察が難しくなる場合もあり、病変位置や視覚予後を考慮して選択する。
小さく限局した穿孔では組織接着剤と治療用ソフトコンタクトレンズを組み合わせることが検討される場合があるが、感染を伴う症例、大きな欠損、辺縁部病変、著明な融解、虹彩脱出、前房の著しい変化がある場合には、これだけで安定した修復を得られないことがある。接着剤はあくまで症例選択と十分な監視を前提とした選択肢であり、眼科手術を遅延させる理由にしてはならない。
術後は、角膜の癒合、縫合部の安定性、前房形成、眼圧、眼内炎兆候、感染再燃、角膜融解、血管新生、色素沈着、癒着、白内障、緑内障、網膜病変の有無を評価する。深部潰瘍では治療開始後も短時間で悪化することがあり、少なくとも初期は12~24時間ごとの再評価または入院下での管理が推奨されることがある。潰瘍が悪化する、改善しない、または角膜厚の3分の2を超える深さである場合は、外科を積極的に検討するという実践的な考え方が示されている。
参考)Treating corneal ulceration in…
予後は、治療開始までの時間、欠損の大きさと位置、病因、感染の有無、融解の進行性、虹彩・水晶体・網膜など眼内構造への影響、術前の視覚反応、術後合併症、基礎疾患の是正可否によって変動する。早期に眼球を閉鎖し、感染と炎症を制御できれば、眼球温存および一定の視覚維持が期待できる症例も多い。ただし、中心部の広範な瘢痕、重度の眼内炎、制御不能な緑内障、網膜障害、反復する感染などでは、視覚予後は慎重に説明する必要がある。
飼い主には、「見た目の赤みや痛みの強さだけでは重症度を判断できない」「数時間から数日の経過で急速に悪化することがある」「点眼薬を自己判断で中止・変更しない」「市販の目薬、人用点眼薬、残薬のステロイド点眼薬は使わない」「エリザベスカラーを外さない」といった点を具体的に伝える。角膜穿孔は、眼を残すこと、痛みを取り除くこと、視覚を守ることの優先順位を個々の症例で検討する疾患であり、治療のゴールが必ずしも完全な透明角膜の回復ではないことも説明しておく。
一般診療施設では、穿孔、デスメ膜瘤、虹彩脱出、急速な融解、前房異常、術式選択に迷う深部潰瘍を確認した時点で、可能であれば獣医眼科または角膜再建を実施できる二次診療施設へ緊急紹介する。紹介前は、眼球を清潔に保護し、不要な接触操作を避け、鎮痛・抗菌治療を開始しつつ、紹介先へ病歴、発症時刻、これまでの投薬内容、フルオレセイン染色の結果、細胞診・培養の有無、画像を共有する。角膜穿孔は「様子を見る」ことで失うものが大きい疾患であるため、眼球温存の可能性を最大化するには、迅速な認識、適切な初期支持療法、そして遅れのない外科的判断が重要である。