
語用論(ごようろん、英: pragmatics)とは、言語表現とそれを用いる使用者や文脈との関係を研究する言語学の一分野です。 単に言葉の辞書的な意味を扱うのではなく、「誰が・どこで・誰に・どういう関係で」使うかによって変化する意味そのものを分析対象としています。
語用論の英語「Pragmatics」は、「実用的な」「実践的な」という意味を持つ「Pragmatic」に由来します。 この名称が示す通り、語用論はある社会文化的状況の中での言語の使用に着目した分野であり、実際のコミュニケーションにおいて言葉がどのように機能するかを探ります。
参考)語用論(Pragmatics)とは何か?│旅する応用言語学
具体的には、ある状況で話し手がどう自分の伝えたい意図を伝え、聞き手がどう意味を解釈するのか、そして両者がどう意味を構築しているのかを研究します。 例えば、「窓を開けてもいいですか?」という発話は、文字通りには許可を求めているように見えますが、実際には「窓を開けてください」という依頼の意図を持つことがあります。このような言外の意味がどう作られていくのか、そして話し手と聞き手がどう言外の意味を伝え、解釈しているのかを探るのが語用論です。
語用論は、文脈を加味した意味を扱い、言語の運用される様を問う分野として位置づけられています。 統語論や形式意味論から取りこぼされてきた現象・トピックの寄せ集めから始まったとされ、言語哲学に端を発し、認知言語学や社会言語学との接点を持ち、談話分析へ知見が応用されるなど、近接諸領域と幅広いつながりを擁します。
参考)https://www.library.osaka-u.ac.jp/doc/ISLIB_085.pdf
言語学には、語用論の他にも意味論、統語論など、言葉の意味や構造を扱う分野が複数存在します。これら各分野の違いを理解することで、語用論の独自性がより明確になります。
統語論(syntax)は、単語が文を構成する際の文法上のきまり・しくみ(文法的構造)を研究する領域です。 形態論が形態素(文字)が単語を構成するしくみを扱うのに対し、統語論は単語から文に至る過程の文法規則を対象とします。
参考)http://www.sdi-net.co.jp/sdi_300.htm
意味論(semantics)は、文と言語外世界との関係に関する研究領域であり、語・句・文・テクストといった記号列が表す意味について論じる分野です。 意味論では、主にコンテクストから切り離された意味を扱い、文が持っている意味論的な意味そのものを分析します。 ja.wikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%84%8F%E5%91%B3%E8%AB%96_(%E8%A8%80%E8%AA%9E%E5%AD%A6))
これに対して語用論は、話し手と聞き手との間に成立している発話状況を考慮して、言葉の使われかたを研究する領域です。 語用論では、コンテクスト(文脈・状況)との関連を重視し、話し手の伝えようとする意味を扱います。
カルナップは、言語使用者である話し手が関与するのが語用論、純粋に言語表現と指示物を扱うのが意味論、言語表現間の関係にのみ注目するのが統語論であるとそれぞれを区別しています。 しかし、ともにことばの意味を扱う意味論と語用論の区別はそれほど単純なものではありません。
形式意味論、殊に真理条件的意味論では、文の意味はその文の真理条件であり、文はコンテクストに依存しない不変の意味を表わすという考え方が中心的となっています。 これに対して、自然言語の解釈はコンテクスト及び伝達者の意図と密接に関係していると考える語用論の分野では、文の意味と話し手の意味(発話の意味)を区別し、文の意味は話し手が伝えようとする意味とは異なるものであるととらえています。
小山亘(2012)は、語用論と統語論・意味論のアプローチの違いを、言語を「システム・センテンス」から考えるか「テクスト・センテンス」から考えるかという認識の違いにも現れると指摘しています。 「システム・センテンス」とは理念的措定であり、「テクスト・センテンス」とは現実のコミュニケーションに現れるものです。 統語論・意味論・「システム・センテンス」と親和性が高いのが情報伝達モデルであり、語用論・「テクスト・センテンス」と親和性が高いのが、コミュニケーションを「社会文化的なコンテクストの中で起こる人と人、人と物、物と物の邂逅(遭遇、出会い)に焦点化した」出来事としてコミュニケーションを捉える「出来事モデル」です。
参考)英語教育の哲学的探究2: 小山亘(2012)『…
語用論の重要な概念の一つに、発話行為(speech act)理論があります。発話行為とは、発話によって遂行される行為のことを指し、伝達を目的として、誰かが何らかの言語表現を用いる行為のことです。
参考)301
オースティンは、発話によって遂行される行為(発話行為)を3タイプに分類しました。 これを発展させたサールは、オースティンの弟子で発語内行為を分析し、相手に直接的ではなく間接的な別の発話をすることを間接発話行為と呼びました。
参考)【日本語教師養成講座】7.語用論的規範|2.語用論(意味論と…
例えば、「Can you pass me the salt?(その塩を取ってもらえますか?)」という発話に対して、「Yes, I can.(はい、できます。)」と答えるのは違和感があります。 これは、この発話が文字通りには能力を問うているように見えますが、実際には「塩を取ってください」という依頼の意図を持つ間接発話行為だからです。
参考)https://note.com/hirohiko64/n/n4df86ac34f6b
推意(implicature)は、グライスが提唱した語用論の核心概念の一つです。 推意とは、文字通りの「言われた事柄(what is said)」と言外に示される「推意された事柄(what is implicated)」を想定し、後者のような意味である言外の意味を指します。
グライスによれば、会話の推意が生じるのは、コミュニケーションを行う人々が、会話の公準(maxims of conversation)と、人々は協力的で助けになる仕方でコミュニケーションを行うことが期待されるという一般原則である協調の原則とに従うことを、聞き手から期待されているためです。
推意 - Wikipedia
(推意の定義とグライスの理論について詳しく解説)
ポール・グライスは、語用論の黎明期に分野の確立に大きく寄与した言語哲学者です。 グライスは、適切なコミュニケーションをとるため、そして時には話者の意図を適切に解釈するためには、参与者がお互いに協調する必要があるとし、協調の原理(cooperative principle)を提案しました。
協調原理とは、「会話における自分の発話を、それが生ずる時点において、自分が参加している話のやり取りの中で合意されている目的や方向性から要求されるようなものにせよ」というものです。 グライスは、この行動原理に従い、順守することで話者の意図は適切に聞き手に伝達されると考えました。
参考)https://jaell.org/wp-content/uploads/2026/01/8d89c60192797255966b46d437756bda.pdf
グライスは、協調原理に従うとは、すなわち量・質・関係・様態の四種に大きく分類される諸々の会話の格率に従うことであるとしました。
参考)http://pragmatics.gr.jp/content/files/SIP_024/SP24_%E4%B8%89%E6%9C%A8.pdf
これらの格率は、会話に参加するものが協調の原理に従っていると仮定することで、頭を働かせれば相手の意図していることが理解できるという前提となります。
参考)人間の対立を避ける推意の「取り消し可能性」 - オンライン中…
グライス語用論では、発話解釈は機械的に行われるものではなく、文字通りの意味や会話の原則を基に意識的な推論(inference)を通して意図を読み取ることであるとし、推論の重要性を明確に指摘しました。 語用論におけるグライスの功績は、コードモデルに対して、推論モデルの重要性を示した点にあります。
推意・意味・意図:グライスにおける推意 - 日本語用論学会
(グライスの推意理論の詳細な解説)
語用論の知見は、医療現場における医師-患者間のコミュニケーションにも応用されています。 医療面接において、医師と患者の双方がもつ言語能力と行為能力に基づいた伝送過程として捉えることで、より効果的なラポールの構築が可能となります。
語用論的機能は、言語を扱う医療分野においても様々なカテゴリーで重要です。 医療現場では、患者が言葉通りの意味とは別の意図で「語」を「用いて」いることが多く、このような互いの理解がなぜ成立するのか、そのメカニズムを理解することが臨床コミュニケーションの質を向上させます。
参考)https://www.rehab.osakafu-u.ac.jp/omu-content/uploads/sites/1131/jrhs_014_2016_03.pdf
例えば、患者が「この薬、ちょっと飲みづらいんですよね」と言った場合、文字通りには薬の物理的な飲み込みやすさを述べているように見えますが、実際には「副作用が辛い」「効果が実感できない」「服用を中止したい」といった言外の意図を持つ可能性があります。 医療従事者は、このような間接発話行為を適切に解釈し、患者の真のニーズや懸念を汲み取る語用論的感性が求められます。
参考)語用論とは?簡単にわかりやすく解説|言語発達 –…
ポライトネス・ストラテジー(調和のとれた人間関係を築き維持するために行う、相手に配慮したコミュニケーション方略)教育プログラムを開発し、医師教育の場で実施した研究もあります。 これは、語用論の知見を臨床教育に応用した好例です。
参考)https://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-19520408/19520408seika.pdf
医療面接と形式語用論 : 医師-患者関係とラポールの構築
(医療現場における語用論の応用について詳しく解説)
語用論が特に注目する研究対象の一つに、皮肉表現や比喩表現があります。 これらは、文字通りの意味と話し手の意図する意味が明確に異なる発話であり、語用論的な解釈なしには理解できません。
参考)語用論 - 脳科学辞典
例えば、「今日はいい天気ですね」という発話が、実際に雨が降っている状況でなされた場合、これは皮肉として解釈されます。 聞き手は、文脈(実際に雨が降っている)と協調の原理(話し手は真実を言うはず)の間の矛盾を解決するために、この発話を皮肉として解釈します。
比喩表現も同様です。「彼はライオンのような勇気を持っている」という発話は、文字通りには彼がライオンであることを意味するのではなく、彼がライオンに象徴されるような勇気を持っていることを意味します。 聞き手は、この比喩を適切に解釈するために、ライオンに関する共通知識(勇敢、力強いなどのイメージ)を動員します。
語用論の障害は、言語の社会的使用の異常さとして特徴づけられており、その背景として「心の理論」障害説、「弱い中枢的統合」説、そして「実行機能」障害説という代表的な説が報告されています。 一般的な言語処理に関与する神経基盤に加え、内側前頭前野や、右半球、皮質下領域の関与が示唆されていますが、一貫した見解は得られていません。
日常会話において、私たちは無意識のうちに語用論的な推論を行っています。 「語用論」という言語学の一分野の研究目標は「会話の含意を解明する」ことにあります。 私たちは、言葉を書いたり話したりするとき、必ずしも、その文字通りの意味を伝えるわけではありません。
一見答えになっていないように思えますが、推意を働かせれば両者はつながってきます。 その理解の説明としてグライスは「協調の原理」という会話において前提とされているある原理を導入します。 例えば、「十分な根拠のないことをいうな、明快な言い方をせよ、あなたの貢献を関連のあるものにせよ」など、会話に参加するものは、この協調の原理に従っているとします。 そうすれば、この前提で発言しているということで、頭を働かせれば相手の意図していることが理解できます。
語用論は、言語がそれを取り巻く脈絡(context)に埋め込まれてどのように使用されるかを明らかにする、多様な領域を基礎にもつ学問領域であり、さまざまな理論から構成されます。 語用論の捉え方はさまざまだが、語用論とは文脈に関わる研究を行う領域だと見なして、「文脈の科学」と位置づけることもできます。
参考)UTokyo BiblioPlaza - 語用論の基礎を理解…
語用論(Pragmatics)テキスト・ガイド
(語用論の基本概念から応用まで、体系的に学べる資料)
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